生き物を愛好する人、或いは研究する界隈では〇〇屋と呼称する風潮がある。
すごく大雑把に言うと、例えばチョウが好きな人は蝶屋、飼育が好きな人は飼育屋、といった具合に自称し、互いの専門を認識し合う。
私の場合、今でこそクワガタを採集するために方々へ出かけるようになり、自らが「クワガタ屋」かつ「採集屋」の端くれとして自覚するようになったわけだが、不思議に思うことがある。
一体いつから自分はクワガタ屋に、そして採集屋になったのだろうか。
2019年沖縄遠征のときは、そこまで深くクワガタに気持ちも行動も入れ込んでなかったと思う。
記憶を辿った先に思い当たるのが、今回書き残す2020年奄美大島遠征である。
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行くきっかけは、ほぼ思いつきだった。
7月半ばを過ぎた頃、1年前に沖縄遠征を共にしたクワガタ屋の某氏が南西諸島から帰ってきた。
彼は今年も島々を渡り歩き、クワガタを採っていたのだ。
彼は遠征の土産話を沢山聞かせてくれたが、彼が何の気なしに放ったある言葉が私を強烈に誘惑する。
「奄美は良いよ。でかいクワガタがゴロゴロいる」
帰り道、その言葉が頭の中を反芻する。
自転車を漕ぎながら悶々と考えていた。
「4年間の学生生活の夏、このまま終わっていいのか...?」
気づいたときには、1週間後の成田発/奄美着のピーチを予約していた。
かくして、2泊3日(ほぼ寝てないので0泊3日が正しいかもしれない)の弾丸奄美遠征が始まった。
ご存知のとおり、この年はコロナ禍の只中である。
行った時期は緊急事態宣言こそ発令されていなかったが、万が一にも感染したりさせたりしてはならない気持ちがあったので、食事は極力持参した食料で済ませ、全て車中泊した。
真夏の奄美での車中泊は疲労との戦いだった。夜は殆ど徹夜で採集なので、寝るのは一番暑い昼間である。
若さに身を任せた、いわゆる「限界遠征」だったかもしれない。
前年の沖縄遠征との大きな違いは、一人であることだった。
採集遠征において団体行動と単独行動では動き方も大きく変わる。自分の実力が成果に直結することになり、安全や責任も自分で背負う。緊張感があった。
今となっては笑い話だが、毒蛇のハブが怖くて真昼の見通しの良い林道でも必ず長靴を履いていたし、寝る時は車の窓を閉め切っていた。
結局ハブは1匹も見なかった。
現地に着くやいなや、事前に下調べして目星をつけていた場所にバナナトラップを仕掛けに行く。スーツケースに入れられる数しか持ってこられなかったので、素人なりに良さそうな環境を厳選して仕掛ける。
そのとき、木の枝に干からびたトラップの残骸が絡まっているのを見つけた。同業者が回収し忘れたものと思われたので回収すると、1匹クワガタが絡まっている。
奄美群島固有種、スジブトヒラタクワガタの雌だった。翅に入った特徴的な筋模様と全体的にザラついたテクスチャーが良い。
きちんとクワガタがいることを確認でき、ひとまず安堵した。
夜まで時間があるので、人のいない港で時間を潰す。
まとわりつくような熱気。
ゆるやかな時の流れ。
1週間前は全く考えていなかった現実が、ここにある。
今でも鮮明に覚えている風景がある。
日没直前、小さな峠を越えようと車を走らせていると、峠のピークの向こうに朱色に染まる雲の先端が見えた。
時間もあったので、峠を越えた先で車を停めてしばし眺める。
周囲は段々と暗くなる。
そして、真っ赤に染まり上がった入道雲が夜空を背景に此方へ迫ってくる。
写真を撮るのも忘れ、呆然と眺めることしかできなかった。
不気味で、畏れを抱いた。
簡単な夕食を済ませ、トラップを見回る前に樹液にクワガタが来ていないか見に行くことにする。
昼間のうちに山奥の藪の先に見つけた、柑橘系の木が気になっていた。
カエルだろうか、暗闇からは騒々しい鳴き声が聞こえてくる。
目的のポイントに辿り着くと、そこかしこにアマミヒラタクワガタがペタペタ張りついているではないか。
あまりに刺激的な光景だった。
アマミノコギリクワガタやスジブトヒラタクワガタもちらほら見かける。
採集品を入れるケースはすぐ満杯になってしまったので、特に大きな個体以外はリリースする。
これが南西諸島か...
思わず息を呑んだ。
が、これはまだほんの序の口であった。
バナナトラップの様子を見に行く。
樹上に仕掛けたトラップをライトで照らすと、見るトラップそれぞれにびっしりとクワガタが来ているのが見えた。
はやる気持ちを抑え、トラップに網を入れて探る。
クワガタがバラバラと網の中に落ちて重たい。
円弧を描くように大アゴが湾曲するアマミノコギリクワガタにも出会えた。
その後も採集を続けたが、終始アドレナリンが出ているような精神状態で全く眠くなかった。気づいたら夜が明け始めている。
最後の夜に備えて日中は流石に寝ようと思ったが、興奮と暑さで寝られない。
結局島にいる間はまともに睡眠をとらなかった。
日中は気晴らしに海沿いの道を流した。
晴れ渡る空と鮮やかに青い海が視界に飛び込んでくる。
2020年、夏であることをようやく実感できた。
あっという間に最後の夜。
昨日と同じルートを回る。
あるポイントで、10mほど先の木を照らした。
明らかに大きな黒い塊が、幹を這っている。
心拍数が急激に上がる。
駆け寄って掴みとり、車内に戻った。
手に掴んだのは、特大のアマミヒラタクワガタ。
昨日も沢山見たが、それらとは比べ物にならないほどデカい。
縦の長さだけでなく、横幅と厚みが全く違う。
静かに興奮がこみ上げてくる。心が震えた。
あとは特大のアマミノコギリクワガタが欲しかった。
2時間おきにバナナトラップの巡回を繰り返す。
流石に疲労を感じてきたが、トラップ一面にクワガタがくっつく光景が眠気を中和する。
すると、あるトラップにそれまでで一番大きなアマミノコギリクワガタが来ているのを見つけた。
でも、何か様子がおかしい。
網に落として手元で見る。
残念なことに、片方のアゴが折れていた。発生ピークが過ぎていることを実感させられる。
かなり悩んだが、この個体は持ち帰らなかった。
来年はもう少し早く来よう。
翌朝まで採集を続け、トラップの撤収や採集品の整理をしていたら帰る時間になってしまった。
右が昨夜の特大個体(71mm)。
左の普通サイズの個体も決して小さくはないのだが、やはり別物である。
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初めての一人遠征で特大個体を得られたのは、とても幸運だった。
短い日程ではあったが、夏の南西諸島の空気感、そこに生きるクワガタの魅力、そして採集しているときの気持ちの昂りを実感した。
「まだ、次を見たい」
そう思えた瞬間、良くも悪くも「クワガタ好き」から「クワガタ屋」への一線を跨いだ気がした。