働きながらの読書

年が明けてから、本をよく読むようになった。

小説、ノンフィクション、詩集、専門書、

新しく買った本、昔に読んだ本、買ったけど棚に眠っていた本、

いまは同時並行で5、6冊読んでいる。

 

社会人になってからは、久しく読書から離れてしまっていた。

仕事が終わると頭が疲れていたし、一刻も早く飯を食べて寝たかった。

趣味も、読書も、やりたいけれど気力が無かった。

 

変わったのは、冬に入った頃だと思う。

久しぶりに写真家・星野道夫さんの本を片っ端から読んだ。生き生きとした自然の描写と、星野さんの想いが乗った文章に、ページを捲る手が止まらなかった。

もっといろんな人が紡ぐ言葉を知りたくなった。ブログを再開したことも関係しているかもしれない。

 

人に勧められた本や本屋で立ち読みして気に入った本を買ったりもした。店で買う時はあまり立ち読みはしない。表紙か目次、指が引っ掛かった見開き1ページで決める。一応値段も見るけど、気に入ったら買ってしまうことが多い気がする。

 

何かを勉強したり、資格のために知識をつけたいという気持ちではない。強いて言うなら、読む前よりも豊かになれるような本を探し求めて読んでいる。

 

仕事も生きるために必要だけれど、豊かな心が無ければ生きる意味を見失ってしまう。だからこれからも、帰って30分くらい本を読める気力とゆとりは何としても守り抜きたいと思う。

 

西表島ヤエマルについて

ここまで古い遠征から順に、回想録を書き連ねてきた。次に書くのは2020年の西表島遠征である。

この遠征の主役はヤエヤママルバネクワガタ(ヤエマル)だ。

「一番好きなクワガタは何?」と問われたら迷わず、断トツで西表島のヤエマルと答える。

でも、この遠征を単に振り返るだけでは、ヤエマル採集の大事な部分を語り尽くせない気がしている。

そのためここでは、ヤエマルと私の間にある「個人的で断片的な記憶」について書く。今後執筆するであろう各年のヤエマル採集記の背景を補完しておきたい。

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ヤエヤママルバネクワガタ、通称ヤエマル。

漢字にすると、沖縄県八重山地方にいる丸い翅のクワガタ。多くのクワガタの発生が終わる秋口、南の島の原生林にひっそりと出てくる。

クワガタは同種の間でも個体によってサイズが結構異なる。雄のクワガタは大きくなればなるほど、その種の特徴が大アゴに現れると言われている。大きな個体は「大歯」と呼ばれる大アゴの型になる傾向がある。ヤエマルの大歯は大アゴから上方向に2対の縦角が発達する。非常にかっこいい。

ヤエマルに果物や灯火のトラップはあまり効果がない。したがって採集は夜間に山を歩き回って木にヤエマルがたまたま付いているのを探す。体力勝負である。

ある程度の経験や知識は必要だが、その先は運も大きく絡んでくる。1シーズンに限った話でいえば、ヤエマル採集1年目の初心者が、この道何十年のベテラン採集者よりデカいヤエマルをポンと採ってしまうこともままある。

その年の発生状況、

木を見るタイミング、

天候、

ほかの採集者の存在、

あらゆる要素が絡まり合った運命に翻弄されながらも、採集者はより大きなヤエマルを探し続ける。

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今までいくつかの島で採集してきたが、ヤエマル、そして西表島には特別な感情がある。大袈裟に言えば、人生の軌道を少しだけ変えてしまったのかもしれない。

「ヤエマルの特大個体を採るためには...」、ある時期は四六時中そのことで本当に頭がいっぱいだった。寝ても覚めても頭はヤエマルのことばかり。

特大個体を採るまでは人生が先に進まない、真剣にそう思っていた。

特別な感情は、数あるクワガタの中でもヤエマル採集に最も多くの日数を費やしてきたという事実のみがもたらすものではない。

冒険的な採集過程、

個性豊かな採集者たちとの出会い、

西表島の自然の素晴らしさ、

そして何より、高い集中状態の先で大型個体を見つけた時の興奮。間違いなくヤエマル採集でしか感じられないもので、あらゆる背景が混ざり合って生まれる、より衝動的な心の揺れ動きである。

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このクワガタを初めて知ったのは小学1年生のとき。近所の古本屋で買った本に載っていた。それはカタログのような本で、国内外のクワガタ・カブトムシの写真と短い紹介文から構成されている。

あるページに、こう書かれていた。

石垣島・バンナ産のヤエヤママルバネクワガタ」

隣には、馴染みのあるノコギリクワガタコクワガタとは似ても似つかない、ずんぐりした体型で短い大アゴのヤエマルの写真。

「バンナ」とは石垣島にあるバンナ岳のことである。独特なフォルムをしたヤエマルは幼いながらに印象的に映ったが、当時の私は石垣島がどこにあるかすらも知らなかった。カタカナの地名から、遠く離れた海外のクワガタと思っていた。

いま思えば、情報量の少なさが良かったのかもしれない。スマホやインターネットも今ほど普及していない時代。想像の余地、ロマンがまだあった気がする。

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2020年10月下旬、私は西表島の山中でヤエマルを探し求めていた。初めてヤエマルを知ったあの日から15年が経っている。その間に、時代の趨勢により国内のマルバネクワガタは次々と採集が禁じられ、あの本で見たバンナのヤエマルも採ることが叶わなくなってしまった。ここ西表島のみ、唯一採集可能な状況が残されている。

隣の石垣島から船でしか行けない秘境感、

ピナイサーラの滝からの絶景、

林床の独特な香ばしい匂い、

夕闇に響きわたる蝉の声、

行手を阻むツルアダンの薮、

木々の梢から垣間見える満天の星空...

ここでしか感じられないものが、確かにあった。

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2020年西表島遠征はヤエマル採集の楽しさを体感できたが、当時はまだヤエマルに「のめり込む」ほどではなかったと思う。「憧れの虫を一回採集できてよかった」程度の心持ちだった。

ヤエマルへの熱意を焚きつけられたのは間違いなく、大学院から入った昆虫系サークル「むしけん」のクワガタ採集者(クワガタ屋)の影響である。

2021年3月、最初の顔合わせはクワガタ屋の某先輩宅で不定期開催される、通称「離島会」であった。参加者は離島でクワガタを採る人ばかり。たまたま当時は私の前後の世代にクワガタ屋が多かった。

最初はみんなで生焼けのシャウエッセンと成吉思汗をつついていた(焼けるまで待ってると先に食べ尽くされる)。

食事が一段落した頃、誰かがそばにあった「日本のマルバネクワガタ」(マルバネ本)を手にとった。当時は初版が絶版になっていて、いっぺんでいいから読みたかった憧れの本だ(下の写真は増補改訂版)。

そして、家主の某先輩が押し入れから標本箱を持ってくる。箱の中には、それまでに採ってきたヤエマルの標本が整然と並んでいる。

圧倒された。大歯のヤエマルがこんなに沢山...前年の秋にヤエマル採集を一回やって、大歯や大型個体を採ることの厳しさ、心身のきつさを知っているからこそ、目の前にある箱の価値に震えた。

半ば放心状態で箱を眺めていたら、みんな口々に語っている。

「この個体は南部っぽい形してるね」

「〇〇川の大歯はなかなか採れない」

「大歯を○匹採った晩は...」

「今年は66ミリ(の個体)を採って優勝する」

いま正直に白状すると、当時の私は個体ごとの違いや産地のことも全然分からなかったし、大歯も通算で1匹しかとっていないため経験値が違いすぎた。そして何より、クワガタ採集の世界において最も肝心な「サイズ」が持つ意味を完全には分かっていなかった。話す内容の半分も理解できず、とんでもないところに来てしまったと思った。

でも、それまでのほとんどの時間を1人でクワガタを追っていた身としては、同じようなことをやっている人が身近にいる環境が心地よかった。

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2021年、2回目のヤエマル採集からは定宿を変えた。そこは他の採集者も多く泊まっていた。

私が親しくさせてもらった採集者たちはヤエマルに対して本気であり、腕前も確かである。

私は大歯を毎晩一頭採れるかどうかのレベルであったが、彼らにはもっと高い目標があるように映った。

自己ベストより0.1mmでも大きな個体を採れたか。

一晩で何頭大歯を採ったか。

そして表立って口にはしないが、他者の採集成果も意識している。

むしけんの界隈でも上記のような風潮があったが、定宿の彼らはより鋭い感情を内に秘めているように見えた。

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ここまで思い出すがままに、ヤエマルにまつわる記憶を書き連ねてきた。

主観や感情を多分に含んだ内容であり、身内に見られても何も知らない人に見られても恥ずかしさが少しあるが、私のこれまでのヤエマル採集を語る上ではどれも欠かせない要素であると思い書き残した。

次の記事で、ヤエマル初採集であった2020年西表島遠征について書く予定です。

今日の植物園

閉園30分前に滑り込み。

短い時間なので手前のエリアだけ散策したが、思いの外色々な花を見つけられた。

園内に彩りが増えてきて、楽しい季節である。

花が咲くと、香りに気づく。

ヒサカキ沈丁花などが芳香を漂わせる。

春の匂いだ。

匂いと記憶は密接に結びついている。

ヒサカキの花が香る頃、イボタガ(春に発生する蛾)を見に行ったことを思い出す。夜にイボタノキ、トウネズミモチなどの樹木や街灯を探して回る。この時期はあまり虫が多くないので、大きくて派手なイボタガが来ていると胸が躍ったものだ。

今年もぼちぼち探しに行こうと思う。

つくば蘭展2024春

植物園で開催中の特別展へ。今回は蘭がテーマ。蘭展は毎年行われているが、毎回少しずつ焦点を変えている。

今回の目玉はJuel Orchid(宝石ラン)だ。

その名の通り、葉が宝石のように艶々とした光沢を放っている。しばらく釘付けになってしまった。蘭は花だけでなく、葉も楽しめるのだ。

特に好みだったのは、Dossinia marmorata というインドネシアボルネオ島固有のラン。葉脈の色彩とグラデーションに目を惹かれる。

熱帯温室では愛好家が丹精込めて育てた栽培品が展示されていて、こちらも凄かった。色も形も多様だけれど、すべて蘭の花。壮観である。

研修展示館にも希少な世界各地の野生ランが展示されていた。どれも精巧な造形で、これらが世界のどこかで花を咲かせている事実に驚きを隠せない。

土曜日ということもあり、多くの人で賑わっていた。気軽に訪れた家族連れやカップル、本格的なカメラを携え撮影に没頭する写真家、花についてあれこれ議論を交わす愛好家。

異なる背景を持った人たちが、「蘭」という一つのテーマに沿った展示空間に集う。一つの展示から、それぞれに学びや楽しみを見出している。

この特別展、そしてこの施設がある意義に少しだけ触れられた気がした。

春の野山へ

デスクワークを始めて一年が経とうとしている。近頃は明らかに体力が落ちた。ちょっと駆け足で走っただけで、数階分の階段昇降だけですぐ筋肉痛になってしまう体たらく。

これでは「夏」に戦えないと思い、久しぶりにハイキングへ行くことにした。そろそろ春の雰囲気も感じたかったので丁度いい。

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土曜の朝、少し寝坊して9時過ぎ自宅発になってしまった。すでに麓の駐車場は満車。この時期、この時間帯はやはり人が多い。

今まで履いていた軽登山靴はソールが逝ってしまったので、マルバネ採集用の地下足袋で登る。履き心地に慣れると、足運びが軽くて良い。すれ違う登山客に何度か足袋のことを聞かれた。

登り始めの一歩目を踏み出したとき。足元の落ち葉がカサカサと音を立てた。カナヘビだ。もう春が動きはじめている。田んぼではカエルが鳴く。

今日は途中休憩を挟まず、一気に山頂まで登った。最初からそう心に決めていたのだが、後半は汗をいっぱいかいてしんどかった。

45分かけて登頂。

山頂のベンチはほとんど満席。日の出から時間が経ち、眼下の風景はだいぶ霞んでいた。筑波山も好きだけど、唯一残念なのは登ったら筑波山の姿を見られないことだ(当たり前)。宝筐山はその点、手軽に登れて筑波山を間近に感じられるから良い。

体が冷えてきたら下山開始のサイン。個人的には山登りより「山下り」の方が好きだ。それは太もも前側の筋肉が発達していて、骨盤がやや後傾気味で後ろ重心であるという自分の解剖学的理由によるものだけではない。登りは「登頂」という目的をまだ達成していない段階なので、身も心も緊張している気がする。登頂後、リラックスした状態で軽やかに降りるのが楽しい。時折、足元に気をつけながら位置エネルギーに身を任せてタタターッと駆け降りる。

視界に入ってくる情報も登りのそれとは違う。セセリチョウやキタテハの飛翔、咲き始めの白木蓮の花、どこからともなく漂うヒサカキの花の匂い...

植物園の散策時と同じような感じ。リラックスしているけど、感覚が研ぎ澄まされてゆく。

山頂から麓までは30分程度で戻って来れた。心地よい疲労感。

来週もまた宝筐山でも良いし、手軽な山を登って体力を培っていきたいと思う。

回想、2023年小笠原諸島

3月2日。ちょうど一年前の今日、学生最後の旅に出た。

 

行き先は、小笠原諸島

片道丸一日かかる1000km超の船旅。

その先に待っている独自の自然。

 

それだけでロマンを感じる。

 

当時は、学生時代が終わってしまう名残惜しさと、社会人としてのスタートに漠然とした不安を抱えていた。

そんな時期にあの場所を訪れたことは、人生において大きな意味を持ち続けている気がする。

 

本当は、古い遠征から順に書くつもりだった。しかしあれから一年が経った今、書き残すことがある気がしたのでここに記すこととする。

 

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きっかけは、修論と格闘していた2023年暮れまで遡る。

当時の私は卒業旅行へ行くことに消極的だった。

新生活に向けてお金を貯めておかねばならなかったし、とりあえず学生のうちの遠征は一旦満足した「つもり」だったからだ。

 

そんな折に、SNSで誰かの呟きをたまたま目にする。

その方は社会人で、次のように綴っていた。

 

「自然が好きな人は学生のうちに、絶対に小笠原へ行っておいたほうがいい」と。

 

小笠原諸島...
2011年に世界自然遺産に登録された、船で片道丸一日かけないと行けない島。

運航ダイヤの都合で最短日程でも6日間を要する。
ただでさえ遠い場所だが、社会人になったらさらに遠ざかるだろう。

でも、わざわざ今行く必要があるのだろうか。

 

数日間悩みに悩んだ挙句、決断した。

...今、行くしかない。

修論の目処が立った1月末、船と宿を予約した。

 

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2023年3月2日。私は東京・竹芝港に立っていた。

小笠原までの唯一の交通手段である「おがさわら丸」はここから出航する。

 

春休み期間ということもあり、船内は多くの乗客で賑わう。

乗客は大きく分けて2つの集団が占める。卒業旅行らしき学生グループ、そして退職後と思われるシニアグループ。

しばらくすると船は汽笛を上げ、ゆっくりと力強く動き出した。

東京湾を通過し、外洋へ出ていく。

次第に陸地は遠ざかり、海の彼方へ消えていった。

24時間の航海の大部分は携帯電話の電波が繋がらない。普段の生活で、どれだけ自分がSNSやインターネットに意識を持っていかれていたのかを実感する。

 

でも、今はそれらを気にする必要がない。

 

ゆっくり本を読めるし、飽きたら外に出て水平線をぼんやりと眺めることもできる。

 

流れる時間を大切にしている実感が湧く。

 

この船は単なる移動手段ではない。旅の一部なのだ。

翌日の昼前、ついに小笠原諸島が近づいてきた。

島の周辺の海ではザトウクジラが浮き沈みを繰り返す。

 

寄港地である父島が眼前に迫る。

ほどなくして父島に上陸。

港から遠方に見える山々の植生、におい、空気感には今まで訪れた南西諸島とは異なるものを感じる。

 

初めて訪れる島はいつも興奮するが、今回は特に「来てよかった」と思えた。

それは、ここを訪れるのが最初で最後である可能性が高いという緊張感がもたらす感情なのかもしれない。

現地ではツアーなどに参加せず、本当に気ままに過ごした。自分の目で、この島の魅力を確かめたかった。

 

原付を借りて島内を散策し、いろんなお店で食事を楽しんだ。特に名物の島寿司(地魚の漬け寿司)は絶品である。

父島は大村地区のメインストリート沿いに多くの飲食店や土産屋が並び、夜も活気に溢れている。

ハイライトは、往復2時間以上かけて行った父島南端のジョンビーチだろう。

当初は散策路の入口でやめておくつもりだったのだが、次にいつ来れるか分からない場所なので、結局行くことにした。

 

道中では小笠原の独特な自然を体感する。

ここはボニンブルーの楽園。

いくつかの峠や海岸を通り抜けること約1時間、ついにジョンビーチへたどり着く。

 

自分以外、誰もいない静かな浜辺。

 

日没が近づき傾く太陽、煌めく渚、波の音...
すべてが美しかった。

 

「死ぬまで忘れないだろう」と直感的に思った。

浜辺に腰を下ろし、波を眺めながらこれからの将来に思いを巡らせる。

 

学生生活が終わり、一ヶ月後には社会人として働いているという事実に不安は募るばかり。

 

でも、興味のあることに没頭できた直近2年間の経験と、そこで見てきた数々の美しい景色は、私に多くのものをもたらしてくれた。

今後訪れるであろう苦しい局面においても、それらが心の支えとなってくれる気がした。

 

社会人になる前に、こうして自分とゆっくり向き合う時間をとれて良かった。

 

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母島も良い場所だった。

滞在の中日に、父島から朝のフェリーで日帰りで行ってきた。

母島は集落がこぢんまりとしており、時の流れがゆるやかである。自然も父島より豊かな印象を受ける。

日帰りなのがとても惜しい。

こちらの島内移動も原付。絶景を味わいながら風切る爽快感が堪らない。

5時間程度の短い滞在だったけれど大満足。

島の見晴らしのいい場所や帰りの船からも、ザトウクジラが見えた。

 

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残りの時間も、気の赴くままに各地を巡ったり、同宿の方々や自然との偶発的な交流を楽しみ、3泊4日の滞在はあっという間に終わりを告げた。

今でもふとしたとき、一年前の情景を思い出すことがある。あの場所と自分との結びつきがまだ続いている気がして、嬉しい気持ちになる。

学生生活の締めくくりとしてこれ以上ない、豊かな旅であった。

 

早花咲月

2月は逃げ、気づけば3月。

今日は植物園の前に河津桜を見に行くことに。

池のほとりに株立つ一本の立派な木で、学生時代から見に行っていた場所だ。

訪れると、ちょうど満開。枝先までびっしりと花をつけている。

見上げれば青空がピンク色に覆い隠されてしまう。壮観だった。

またこの景色を見られて嬉しい。

 

ここへ引っ越してきてから、もうすぐ一年が経つ。

この一年間は学生時代に見た景色を追憶、反芻した時間でもあった。

次の一年をかけて、この土地に新たな景色を見出したいと思っている。

虫、植物、自然、風土...どれをとっても、今まで見ていた世界が狭小なものであったことに気付かされたからだ。

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植物園へ向かう。

この時期は新芽に視線が行く。

空気感も冬の割合を減らし、日を追うごとに春を感じられるようになってきた。

水辺では、ミツガシワが若葉を伸ばそうとしている。

冬の間はずっと茶色く枯れていたが、ここから新たなサイクルが始まる。

ミズバショウも顔を出していた。

足元を見れば、早春の花が見える。

オオミスミソウが紫色の小さな花を咲かせている。前回は気づかなかったが、フキノトウも出ていた。

散策の途中。最近はいつも同じルートで見回っていて、一回通った(見た)ところを無意識に避けていることに気づく。

しかし、見たいものは何回見たって良いはずだし、気に入った道があったら何往復したって良い。

アイスクリームをダブルで頼むとき、好きな味一種類を2個重ねてもバチは当たらないのである。

 

無意識のうちに自分を緩やかに縛っていた禁忌を、今日は解いてみることに。

オオミスミソウをもう一度見に行き、池にかかる橋も2往復した。

小さな変化ではあるが、いつもの景色が少し新鮮に映る。

今日、ここに来て良かったと思えた。