ここまで古い遠征から順に、回想録を書き連ねてきた。次に書くのは2020年の西表島遠征である。
この遠征の主役はヤエヤママルバネクワガタ(ヤエマル)だ。
「一番好きなクワガタは何?」と問われたら迷わず、断トツで西表島のヤエマルと答える。
でも、この遠征を単に振り返るだけでは、ヤエマル採集の大事な部分を語り尽くせない気がしている。
そのためここでは、ヤエマルと私の間にある「個人的で断片的な記憶」について書く。今後執筆するであろう各年のヤエマル採集記の背景を補完しておきたい。
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ヤエヤママルバネクワガタ、通称ヤエマル。
漢字にすると、沖縄県・八重山地方にいる丸い翅のクワガタ。多くのクワガタの発生が終わる秋口、南の島の原生林にひっそりと出てくる。
クワガタは同種の間でも個体によってサイズが結構異なる。雄のクワガタは大きくなればなるほど、その種の特徴が大アゴに現れると言われている。大きな個体は「大歯」と呼ばれる大アゴの型になる傾向がある。ヤエマルの大歯は大アゴから上方向に2対の縦角が発達する。非常にかっこいい。
ヤエマルに果物や灯火のトラップはあまり効果がない。したがって採集は夜間に山を歩き回って木にヤエマルがたまたま付いているのを探す。体力勝負である。
ある程度の経験や知識は必要だが、その先は運も大きく絡んでくる。1シーズンに限った話でいえば、ヤエマル採集1年目の初心者が、この道何十年のベテラン採集者よりデカいヤエマルをポンと採ってしまうこともままある。
その年の発生状況、
木を見るタイミング、
天候、
ほかの採集者の存在、
あらゆる要素が絡まり合った運命に翻弄されながらも、採集者はより大きなヤエマルを探し続ける。
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今までいくつかの島で採集してきたが、ヤエマル、そして西表島には特別な感情がある。大袈裟に言えば、人生の軌道を少しだけ変えてしまったのかもしれない。
「ヤエマルの特大個体を採るためには...」、ある時期は四六時中そのことで本当に頭がいっぱいだった。寝ても覚めても頭はヤエマルのことばかり。
特大個体を採るまでは人生が先に進まない、真剣にそう思っていた。
特別な感情は、数あるクワガタの中でもヤエマル採集に最も多くの日数を費やしてきたという事実のみがもたらすものではない。
冒険的な採集過程、
個性豊かな採集者たちとの出会い、
西表島の自然の素晴らしさ、
そして何より、高い集中状態の先で大型個体を見つけた時の興奮。間違いなくヤエマル採集でしか感じられないもので、あらゆる背景が混ざり合って生まれる、より衝動的な心の揺れ動きである。
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このクワガタを初めて知ったのは小学1年生のとき。近所の古本屋で買った本に載っていた。それはカタログのような本で、国内外のクワガタ・カブトムシの写真と短い紹介文から構成されている。
あるページに、こう書かれていた。
「石垣島・バンナ産のヤエヤママルバネクワガタ」
隣には、馴染みのあるノコギリクワガタやコクワガタとは似ても似つかない、ずんぐりした体型で短い大アゴのヤエマルの写真。
「バンナ」とは石垣島にあるバンナ岳のことである。独特なフォルムをしたヤエマルは幼いながらに印象的に映ったが、当時の私は石垣島がどこにあるかすらも知らなかった。カタカナの地名から、遠く離れた海外のクワガタと思っていた。
いま思えば、情報量の少なさが良かったのかもしれない。スマホやインターネットも今ほど普及していない時代。想像の余地、ロマンがまだあった気がする。
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2020年10月下旬、私は西表島の山中でヤエマルを探し求めていた。初めてヤエマルを知ったあの日から15年が経っている。その間に、時代の趨勢により国内のマルバネクワガタは次々と採集が禁じられ、あの本で見たバンナのヤエマルも採ることが叶わなくなってしまった。ここ西表島のみ、唯一採集可能な状況が残されている。
隣の石垣島から船でしか行けない秘境感、
ピナイサーラの滝からの絶景、
林床の独特な香ばしい匂い、
夕闇に響きわたる蝉の声、
行手を阻むツルアダンの薮、
木々の梢から垣間見える満天の星空...
ここでしか感じられないものが、確かにあった。
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2020年西表島遠征はヤエマル採集の楽しさを体感できたが、当時はまだヤエマルに「のめり込む」ほどではなかったと思う。「憧れの虫を一回採集できてよかった」程度の心持ちだった。
ヤエマルへの熱意を焚きつけられたのは間違いなく、大学院から入った昆虫系サークル「むしけん」のクワガタ採集者(クワガタ屋)の影響である。
2021年3月、最初の顔合わせはクワガタ屋の某先輩宅で不定期開催される、通称「離島会」であった。参加者は離島でクワガタを採る人ばかり。たまたま当時は私の前後の世代にクワガタ屋が多かった。
最初はみんなで生焼けのシャウエッセンと成吉思汗をつついていた(焼けるまで待ってると先に食べ尽くされる)。
食事が一段落した頃、誰かがそばにあった「日本のマルバネクワガタ」(マルバネ本)を手にとった。当時は初版が絶版になっていて、いっぺんでいいから読みたかった憧れの本だ(下の写真は増補改訂版)。
そして、家主の某先輩が押し入れから標本箱を持ってくる。箱の中には、それまでに採ってきたヤエマルの標本が整然と並んでいる。
圧倒された。大歯のヤエマルがこんなに沢山...前年の秋にヤエマル採集を一回やって、大歯や大型個体を採ることの厳しさ、心身のきつさを知っているからこそ、目の前にある箱の価値に震えた。
半ば放心状態で箱を眺めていたら、みんな口々に語っている。
「この個体は南部っぽい形してるね」
「〇〇川の大歯はなかなか採れない」
「大歯を○匹採った晩は...」
「今年は66ミリ(の個体)を採って優勝する」
いま正直に白状すると、当時の私は個体ごとの違いや産地のことも全然分からなかったし、大歯も通算で1匹しかとっていないため経験値が違いすぎた。そして何より、クワガタ採集の世界において最も肝心な「サイズ」が持つ意味を完全には分かっていなかった。話す内容の半分も理解できず、とんでもないところに来てしまったと思った。
でも、それまでのほとんどの時間を1人でクワガタを追っていた身としては、同じようなことをやっている人が身近にいる環境が心地よかった。
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2021年、2回目のヤエマル採集からは定宿を変えた。そこは他の採集者も多く泊まっていた。
私が親しくさせてもらった採集者たちはヤエマルに対して本気であり、腕前も確かである。
私は大歯を毎晩一頭採れるかどうかのレベルであったが、彼らにはもっと高い目標があるように映った。
自己ベストより0.1mmでも大きな個体を採れたか。
一晩で何頭大歯を採ったか。
そして表立って口にはしないが、他者の採集成果も意識している。
むしけんの界隈でも上記のような風潮があったが、定宿の彼らはより鋭い感情を内に秘めているように見えた。
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ここまで思い出すがままに、ヤエマルにまつわる記憶を書き連ねてきた。
主観や感情を多分に含んだ内容であり、身内に見られても何も知らない人に見られても恥ずかしさが少しあるが、私のこれまでのヤエマル採集を語る上ではどれも欠かせない要素であると思い書き残した。
次の記事で、ヤエマル初採集であった2020年西表島遠征について書く予定です。