今週前半は気温が上がったが、昨日は寒の戻りで冷え込み、雪もちらついた。
今日は晴れているけれど、気温は低い。
14時頃に訪園。
梅が散っていた。
梅の木は咲く期間が短いにも関わらず、日本中のそこかしこに植えられている。
多くの草木が目覚めておらず、彩りに乏しいこの時期。
あの鮮やかでどこか儚げな花に、昔の人々は次の季節への希望を求めたのかもしれない。
園内では木々の新芽がほころび始めている。
シジュウカラ、ヤマガラなどの野鳥が芽を摘みながら木々の間を飛び交う。
山茶花の季節は終わり、椿が花をつけ始めている。両者の花の形状、開花時期の違いを知ったのは最近のこと。
散策終盤、良い風景に出会えた。
建物の壁とフェンスに絡みつく植物。やわらかな陽光が射し、そこにできた影。
様々な偶然が構成する物語にユーモアと美しさを感じ、しばらく眺めていた。
もちろん、植物園が意図した展示ではないだろう。奔放に伸びた草が建物を侵食し、それが衆目に晒されているのは、むしろ望まれぬ状態かもしれない。
一方で、本来はそういうものではないか、とも思うのである。
彼らは管理されるべく生まれた存在ではなく、一つ一つの行為に自らの意思を持った主体として、人の認知の枠では把握しきれない可能性を多分に含んだ存在ではないだろうか。
彼らはいつも、我々の意図や思惑に反する。
時には愉快に翻弄し、またある時は鋭い牙を剥く。
私がここで目にして、写真に収めているもの。
博物館施設や、自然の中での体験の数々。
それらはあくまで真実の微小な断片で、全体には成りえない。
どれだけ断片を掻き集めても、全体像を知る日は来ないのかもしれない。
そのことを頭の片隅に置くだけで、目の前の混沌とした世界に寛容な心で、そして謙虚な姿勢で向き合える気がした。