周辺にあり、中心にあったこと

 

今まで訪れた島の採集記を書き続けている。

書きながら思うのは、書き表せることの少なさ、有限さである。

私に描写する力がないのは重々承知している。それでもやはり痛感するのは、「書くことによって書かないことが生まれる」という現実だ。

採集記なので虫を探して採る場面ばかり書いているが、もっと残したいことがある。

 

それは匂いであり、光であり、空気感である。

行く先々で出会った人の表情であり、語りである。

 

以前は、それらを旅の周辺的な出来事と思っていた。

でも時間が経つほどに、いろいろな場所へ出かけるほどに、そうした何気ないことが心の底に降り積もり、次第に存在感を増していく。

すぎゆく日常でふと立ち止まったとき、湧きあがるように想起されるのはやはり「名のないこと」なのである。

 

それらは美化された記憶なのかもしれない。

それらには価値や意味が無いかもしれない。

いつか綺麗に忘れるかもしれない。

 

大事なのは、あのときの「名のないこと」全てに自分が関わっていたということ。

言い換えると、ある瞬間において自分は「名のないこと」の一部であったという紛れもない真実である。

 

それこそが、今までの旅の本懐であったのかもしれない。